なんとなく夏だった
雨がふったりやんだりしている。
休みでよかった。
明日は母がくるらしいので、そろそろ部屋を片付けよう。
といってもいつも通り掃除機をかけてふき掃除して、でも水回りは普段よりすこし丁寧に磨く。
古くて、とても狭いアパートだから、呆れられてしまうかもしれない。
引っ越すときにものをたくさん捨てたけれど、本だけはほとんどそのまま持ってきた。
これからもきっとどんどん増えていく。本棚にはもう空きがない。
何を捨てようかな。
真っ赤に染まるわたしの気持ち
プレゼントをいただいた。
たくさん食べてたくさん話してたくさん笑った。
楽しかったのにもう明日は月曜日だ。仕事。
日曜日はインターネットをしながら好きなものを気持ち悪くなるまで食べていい日なんだけど、これはたぶん過食症なんだと思う。
でも大丈夫、拒食症のときみたいに月経がなくなったり肌が黄色くなったりしていないし健康だ。食べないよりはましみたい。
平日はなるべく低カロリーで安いものを食べて節制していかなければならないので、レンジでチンするだけでできる簡単なつくりおきおかずを何品かつくった。
きっとおいしくない、わたしがつくる料理はまずい。
あなたはどうやら壊れてしまった
おなかがすいたので賞味期限の切れた卵を3つ食べた。
朝もひとつ食べたので今日は4つも摂取していることになる。
17時からお酒を飲む。だしまきなどのメニューはぜったいに避けなければ。
昨日は職場の飲み会だったのだけれど喋りすぎてしまったかもしれない。
一人で反省会を開いている。いつもそう、帰宅してようやく冷静になる。
まだ土曜日なのに、もう月曜日のことを考えてしまう。
うるさい人間だと思われているかな、仕事行くのつらいな。
絵画の海に溺れていく
『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』を見に行った。
原画はサイズの小さいものが多く、どれも気が遠くなるほど緻密に描き込まれていた。
『うろんな客』について、「児童書のつもりで描いたのに周囲にそう思われず不思議」というエピソードがあって口元が緩んでしまった。
たしかにゴーリーの絵本のなかではかなりマイルドな作品だとおもう。生物が悲惨な死を遂げないし。
「意味のないものを作ることは難しい」とゴーリーは言っていたそうで、わたしみたいなクリエィティブの素養がないものが共感するのはおこがましいけれど、素直にそうだよなあと思ってしまった。
人間、ある程度の年齢になると普段の言動に常に理由を求められる。
「それで?」と詰められて言い淀んでしまうような発言や、「なぜ?」と問われて明確な目的を述べられないような行動なら、いっそしないほうがマシであるという風潮のなかで生きている。
その点、ゴーリー作品では突然へんちくりんな生物が登場したり、何の罪もないこどもたちが苦しんで死んだりする。
そこには秩序も教訓もいっさい存在しない。
「それで?」、「なぜ?」のオンパレードだ。
人は歳をとるごとに感受性を削り取られて、そのうすくなった部分を覆うべく社会性だとか生産性だとかそういう意味のある類のものをどんどん身に着けていく。
そうなってしまうと「意味のないものを作る」なんて意味のないことはできない。
そもそも「意味のない」ものが何なのか、その認識すら危うい。
けれど一見すると突飛で脈絡のないゴーリーの作品に触れることで、それまで忘れていた「意味のないもの」たちを目の当たりにすることができる。
ページをめくるたびに飛び込んでくる無秩序で不穏なユーモアが心地よくてたまらない。
要約すると、とても見ごたえのある展示だった。
八王子という場所も手伝ってか、人がそれほど多くなく、ひとつひとつの作品をじっくり見ることができたのもよかった。
ミュージアムショップも垂涎ものだったけれど、現金の持ち合わせがあまりなく、当然のことながらクレジットカードも使えなかった。痛恨のミスである。
1000ピースパズル欲しかったな。あと『子供部屋の壁紙』のマスキングテープ。
将来自由に改装できるような家を手に入れた暁には、ぜったいに『子供部屋の壁紙』をはるぞ。
たった一度寝ただけ
穴埋めをしようとしている。
誰でもいいから誰かに大事にされたい。
甘やかしてほしい。一番好きになってほしい。
わたしは誰のことも好きじゃない。
エベレストは神の見張り台さ
洋服を売った。
リュックをパンパンにして、吉祥寺まで汗だくになりながら自転車を漕いだ。
デザインが年相応でなくなってきたり、いまいちサイズが合っていなかったりと、まったく不要なものではあったのだけれど、総額1500円と聞くとなんだかやるせない。
ここ数年まともに夏服を買っていない。
学生時代は生活をしなくてもよかったので、いくらでも服にお金をかけられた。
今は服ばかりにかまけてはいられない。
家賃とか公共料金とかその他もろもろ生きていくために支払わなければならない最低限のお金を捻出するのでいっぱいいっぱいだ。
ひとと買い物に行きたくない。
ひとの買い物に付き合うのは好きだけれど、そうすると自分もなにかを買わなきゃいけないみたいな空気が流れて、それほど欲しくもないものを手に取ったりして。
なにも買わずにいると、相手の目には自分がこの買い物を楽しんでいないように映るのではないかと不安になる。
こちらのことなんて、誰もそこまで気にしていないのにね。
ひとりでひっそりとする買い物が一番たのしい。
朝から何時間も歩いて、お昼も食べ逃して、微妙な時間に喫茶店にはいってひとやすみして、もうひとふんばり別のビルも上から下までぐるぐる回って、夕方にくたくたで家にたどり着いてお風呂に飛び込んで、風呂上がりには買ったものを広げてタグを切って、新入りたちをあるべき場所にしまったところでようやくわたしの買い物は終了だ。
一日仕事だ。
冬物はかさばるし、重くて持って帰るのが大変だけれどいっちょ頑張ってみようかな。
最近あなたの暮らしはどう
人に迷惑をかけずに生きていけないものだろうか。
仕事はできないことだらけで先輩に尻ぬぐいをさせてしまうし、電車に乗っていれば手持ちの日傘が誰かの足に当たったり。
スーパーで買い物をしているときでさえ、わたしがタイミング悪くやきとりを物色し始めたせいで品出しができなくなった従業員に手持無沙汰に売り場をうろかせてしまう始末。
歩いているだけで人の妨げになっている気がするけれど、実際歩幅がせまく歩みが遅いのでぜったいに邪魔だろうな。
ごめんね後ろを歩くひとたちよ。
このせまいせまい東京の限られた場所を、わたしがいなければきっとだれかが使えるはずの場所を占有している。ひどいなあ。
なんの展望も気概もないくせに首都に出てきてしまったから、なんにもできないまま20代後半になってしまったから、やりがいとか、夢中になれるものとかなにもないから、だからなんだという話だ。ぜんぶ自分で蒔いた種だ。
だけどもはや仕切りなおす気力なんてない。
日々をなんとかやり過ごしていくしかないのだ、死ぬまで。
わたしにとっては生きているだけで誰かに迷惑がかかる世界だから、誰もかれもに謝りながら生活をこなしていくしかないのだ、死ぬまで。
途方もないなあ。