虚ろな目のままで少女は大人になる
300万円あればスイスで安楽死できると聞いたそのときから、とても生きやすくなった。
今まで死ぬまで生きなければならないことが苦痛でしょうがなかった。
ひとりで生き抜く気概がないのに誰からも欲されないし自分自身誰も欲していない。
いずれ働けなくなったとき、老後穏やかに過ごせるような貯えはきっとなく、どこかのアパートを事故物件にしてしまうのだろうなと憂鬱な気持ちになることたびたびであった。
いや、屋根のあるところに住めていると思うな。住所などないかもしれない。
路上で寒さ暑さに耐えながらじりじりと体力気力をそがれ、道行く人に顔をしかめられながら煙たがられながら死んでいくかもしれない。どのみち周囲に迷惑だ。
でも、300万円あれば。
どうしようもなくなったとき、もう1秒だって生きていたくない、なにもかも終わりにしたい、そんなとき300万円あれば自分の意志で、ぼろ雑巾みたいになる前に(死にたくなっている時点ですでにぼろぼろではあるが)死を選べるのだ。これを希望と呼ばずしてなんと呼ぼう。
もう大丈夫。死ぬまで生きなくてもいい。いやまあ死ぬまでは生きるんだけど、その死を自分で手繰り寄せることができる。タイミング自由自在。
300万円の貯蓄という働く目的も生まれ、がぜん元気になった。
死ねることで生きる気力が湧いてくるというのもはたから見たらおかしな話だ。
でもなんでもいい。救われたのだ、とても。そのときまでは好きなように生きるのだ。